プロフィール

山本勝敏(やまもとかつとし)

1964年(昭和39年)2月3日
多治見市生まれ  
  • 山本實(電気工事業、当時は大日町)の
    第3子として生まれる
  • 自宅:多治見市音羽町
  • 家族:母、妻、長男、次男
  • 尊敬する人物:稲盛和夫、
    アルベルト・アインシュタイン
  • 好きなアーティスト:浜田省吾

学歴

  • 菫幼稚園 卒園
  • 精華小学校 卒業
  • 陶都中学校 卒業
  • 多治見北高等学校 卒業
  • 名古屋工業大学(機械工学科)卒業

職歴

1986年
22歳
    シーケーディ㈱【約4年間】
    開発センターに勤務(空圧機器と冷熱装置の開発設計を担当)
  • 政治家になろうと決意し、自己研鑚のため転職を図る
1990年
25歳
    ㈱ビジネスコンサルタント 【約5年間】
    渋谷営業所長ほか(企業の経営改革や社員教育などの支援)
  • 松下政経塾の現代政治スクールを受講するなど政治を勉強
1995年
31歳
    多治見市議会議員 【2期、8年間】
    全国若手市議会議員の会 会長、市議会内会派 会長、ほか
  • まちづくりの方向を変えたいとの思いで、市長選挑戦を決意
2003年
39歳
    多治見市長選挙 落選 【政治浪人4年間】
  • ビジネスアシストを開業し、企業の経営支援を行う
2007年
43歳
    岐阜県議会議員 【現在3期目】
    総務委員会 委員長、企画経済委員会 委員長、
    厚生環境委員会 委員長、ほか
現 在
  • 【県議会・行政】
  • 土木委員会 委員長
    岐阜県宅地建物取引業審議会 委員
    岐阜県屋外広告物審議会 委員
    岐阜県国土利用計画審議会 委員
    公益財団法人岐阜県建設研究センター 評議員
    中部縦貫・北陸関東広域道路建設促進同盟会 幹事
    岐阜県スマートIC等整備促進協議会 会員

  • 【自由民主党】
  • 自由民主党岐阜県連 副幹事長
    自由民主党岐阜県連 友好団体連絡協議会 会長
    自由民主党多治見市支部 支部長

  • 【その他】
  • 岐阜東濃リトルシニア野球協会 会長
    多治見市卓球協会 副会長、ほか

〜山本勝敏の生き方〜

少年の思い
中学時代、物理学に魅せられた。宇宙生成の「美しさ」に感動した。
高校時代、人間社会の「みにくさ」に失望した。たとえば、冷戦…人はなぜ争うのか!?人はもっと「美しく」生きられるはずだ。
「政治が変わらなければ」と感じた。しかし、自分には力は無かった。
いつか政治を変えられる人になりたいと夢見るだけだった。


25歳の決意
社会に出た。新たな曲がり角が見えてきた。負の遺産が積まれている。
たとえば、環境問題。「自分にも責任がある」と思った。「今を生きる世代として、子どもや孫たちの世代に責任を持とう」と。
「誰かがやるさ」と逃げたくなかった。「きっと自分にも出来る」と信じた。
「政治家になろう」と決意した。
25歳だった。


ベルリンの壁を越える
しかし、自由主義か?社会主義か?人はどう生きるべきか?国家は?社会はどうあるべきか?
答えをはっきりと見出せずにいた。その答えが自分の中で欲しかった。
答えを確信した上で、政治家になろうと思った。
だから、答えを確信するために消え行く東側社会の現実を見ておきたかった。
ベルリンの壁崩壊から2ヵ月後だった。


市議会議員、そして…
それから職を変え、5年間修行した。
31歳、ゼロからのスタート、多くの人に支えられ、市議になった。わずかな抵抗ながら、精一杯働いた。
しかし、思い描くまちや理想とする政治はまだまだ遠かった。「ここで、方向を変えなければ…」もっと強い力が必要だと思った。
39歳、市長に挑戦した。だが落選。
自分の力不足だった。


今、原点に返る。情熱はゆるがない。
この4年間、多くの経験をした。経営も考えた。子育ても考えた。生き方も考えた…
たとえば、教育問題。今「美しく生きる」ことが求められているのでは!?
「もう一度、原点に返ろう」少年の思いと25歳の決意を持って、新たな一歩を踏み出したい!
このまちの基礎づくりから。
政治への情熱、このまちへの情熱はゆるがない!

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